中年夫婦のぶらぶらある記

水道々路を極める



はじめに

我が家のそばにある井の頭通り(通称:水道道路)にまつわるお話を・・・

東京に供給される水道水は東村山浄水場から世田谷区大原にある
和田堀給水場に水を送るための水道管上に作られた道路。

東村山浄水場へは4つの水源から原水が送られる。
@ 多摩湖から
A 狭山湖から
B 玉川上水から
C 荒川の秋ケ瀬橋付近から

これらの原水は、東村山浄水場から狭山・境緑道の下を通って 境浄水場に導かれる(緑道を流れる水が浄水か原水かは定かではない)。
境浄水場から出た浄水は、現在の井の頭通りの下を通って、和田掘給水場に送られ、そこから各家庭に供給される。

この導水管が敷かれている道を「水道々路」と呼ぶ。

関連サイト:東京都水道歴史館(水道橋)

こだわる理由:

1.幼い頃の思い出

現在の井の頭通りは吉祥寺駅西側で中央線の線路と交差し、更に3km先まで続く幹線道路である。
まだ子供の頃の昭和30年代、中央線は高架ではなく、井の頭通りも吉祥寺の踏切が終点だった。
ここから先は、幅20mくらいの未舗装の道が延々と西に続いていて、「水道々路」と呼んでいた。
自動車は入れず我々子供の格好の遊び場だった。
その思い出のせいか、私には「水道々路」と言う言葉に、激しく郷愁を感じる。

←昭和40年頃の水道々路(吉祥寺駅付近より西側を見たところ)
2.探検心をそそる

これらの水道施設の多くは昭和の初めから工事が開始された。
この頃作られた水道々路はひたすら一直線に作られ、その上には建造物は一切無く、今でも水道用地としてごく一部を除いて人の通行を妨げない。
途中、道を見失っても、強い信念を持って探すと、その直線上に必ず踏み跡が見つかる。そこに探検心を満たす何かを見出す。

こんな人口密集地によくもまあ一直線に作られたものだと感心するが、当時はまだ住宅も少なく、また国策としての錦の御旗の下、強制立退きなどで強引に作ったのだろう。


これらの4系統の水道々路を探検し、ホームページに整理した。
@ 多摩湖から東村山浄水場を経て境浄水場へ至る水道々路(狭山・境緑道)−1924年完成
A 狭山湖から西武園遊園地内を抜け、東村山浄水場に至る水道々路−1932年完成
B 西武・玉川上水駅付近から途中まで野火止用水に沿い、後は単独で東村山浄水場に至る水道々路−1923年完成
C 秋ケ瀬付近から荒川の水を取水し、東村山浄水場に至る水道々路−1964年完成

@からBは、歴史も古く、上記「こだわる理由」を満足し申し分ないが、Cは殆どが既存の車道の下を通り、また民家の下を潜る反則技の連続。
したがってCは水道々路とは認めず、推奨しない