江戸六阿弥陀 |
≪由来≫
聖武天皇の時代(奈良時代)、今の足立区に、さる長者が住んでいたが子供が一人もいなかった。
夫婦は熊野権現にお参りし一生懸命お祈りをしたところ、やがて、玉のような女の子が産まれ
「足立姫」と名付け、大事に育てられた。
やがて近隣のうわさになるほどの才色兼備の姫となったが、今の北区に住まう豊島左衛門清光
という悪領主が姫にぞっこん。
色々圧力をかけて力づくで嫁にしてしまった。
舅にもいじめられ、辛い日々を送っていたが、ある日、里帰りの許しが出た。
帰る途中の沼田川で世をはかなんで身投げをしてしまった。五人の侍女も後を追った。
長者夫婦は悲しみに打ちひしがれ、霊を弔うため熊野本宮に参ったところ、
仏が夢枕に立ち「そなたに良い木材を与えよう。近いうちに行基という行脚僧が、そなたの家に立ち寄る
ので、その僧に六体の阿弥陀仏を刻んでもらうが良い」と告げた。
長者は夢から覚めると早速山中を探したところ、谷間に光り輝く霊木を見つけた。
行基菩薩の来訪を、一日千秋の思いで待ちわびていたが、程なくお出でになった。
そこで行基菩薩に一部始終話したところ、行基菩薩も自分の見た夢と一致すると
一夜の内に一本の木から六体の阿弥陀仏を刻み上げた。
長者は六ヶ所に寺を建立し、六体の阿弥陀仏を一体ずつ安置ししたと言う。
第一には、西方浄土に生まれ出る御利益を授けるというところから、西福寺と名付けた。
第二には、家内安全・息災延命の御利益を授けるというところから、延命寺と名付けた。
第三には、福寿無量に諸願を成就させるというところから、無量寺と名付けた。
第四には、我ら一切の者に安楽を与えるというところから、与楽寺と名付けた。
第五には、常に一家和楽の福徳を授けるというところから、常楽院と名付けた。
第六には、未来は常に光明を放つ身を得させるというところから常光寺と名付けた。
木余りと木残りの弥陀の由来はしかとわからないが、多分余った材料で2体を作ったのかな?
寺院名、宗派、住所 | 写真 | 交通 |
1番:西福寺 真言宗豊山派 |
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■JR:王子駅から1km ■都バス: 王40番または東43番:「豊島2丁目」 参照:「田端・王子編」 |
2番:恵明寺 (明治9年に延命寺を合併) 真言宗系単立寺院 |
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■都バス: 王40番または東43番:「荒川土手」 参照:「田端・王子編」 |
3番:無量寺 真言宗豊山派 |
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■営団地下鉄・南北線「西ヶ原」南200m 参照:「田端・王子編」 |
4番:与楽寺 真言宗豊山派 |
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JR田端駅から500m 参照:「田端・王子編」 |
5番:常楽院 天台宗 |
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■京王線「つつじヶ丘」駅より南西400m |
6番:常光寺 曹洞宗 |
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■JR「亀戸駅」より北東800m |
木余りの弥陀:性翁寺 浄土宗 |
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■都バス: 王40番または東43番:「荒川土手」 参照:「田端・王子編」 |
木残りの観音:昌林寺 曹洞宗 |
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■営団地下鉄・南北線「西ヶ原」南200m 参照:「田端・王子編」 |