中年夫婦のぶらぶらある記

世田谷区・烏山 寺町   1999.11.27

地図に無数の寺の記号がある。前から気になっていた烏山に自転車で行ってみた。
通称「寺町通り」でお寺が沢山集まっている。
交通量も少なく、辺りは緑が多く静かな風情でとっても良かった。

 

場所は三鷹市の境に近い烏山4・5丁目。
関東バスが走っていたが、多分井の頭線の高井戸駅方面から来ていると思われる。
久我山駅、烏山駅どちらからも1km程度で散歩にちょうど良い距離。
我々は不精を決め込んで自転車で行ったが、身体を鍛えてある人は吉祥寺・井の頭公園
の「万助橋」から烏山まで玉川上水沿いを歩けばもっとすばらしい(数kmと思われる)。

殆どの寺院が関東大震災で焼失し、今の地に移ってきた。そう言う意味では歴史はないが戦災に会わなかったらしく、殆どの寺が木造のまま残っている上、手入れが行き届いていて気持ちよい。
木造で80年経つとそれなりの重みが出てきて、決して「新しい」とは感じない。
なお、浅草近辺の焼失した寺院はここ以外にも、現 足立区の伊興寺町にも多くが移った。

■大正13年移転
番号 寺院名 移転元
1 源正寺 築地寺内
2 浄因寺 麻布三河台
3 乗満寺 浅草松葉町
4 常栄寺 築地寺内

■大正14年移転
番号 寺院名 移転元
5 源良院 浅草神古町

■大正15年移転
番号 寺院名 移転元
6 善行寺 築地寺内
7 永願寺 浅草清島町
8 高源院 品川

■昭和2年移転
番号 寺院名 移転元
9 妙寿寺 本所猿江町
10 専光寺 浅草北松山町
11 妙高寺 浅草今戸
12 幸龍寺 浅草新谷町
13 玄照寺 白金三光町
14 存明寺 麻布富士見町
15 称往院 麻布芝崎町
■昭和2年移転
番号 寺院名 移転元
9 妙寿寺 本所猿江町
10 専光寺 浅草北松山町
11 妙高寺 浅草今戸
12 幸龍寺 浅草新谷町
13 玄照寺 白金三光町
14 存明寺 麻布富士見町
15 称往院 麻布芝崎町

■昭和3年移転
番号 寺院名 移転元
16 妙揚寺 谷中天王寺
17 永隆寺 本所太平町
18 順正寺 千駄ヶ谷
19 妙善寺 築地寺内
20 萬福寺 築地寺内
21 入楽寺 浅草北松山町
22 常福寺 浅草吉野町

■昭和4年移転
番号 寺院名 移転元
23 宗福寺 日暮里

■昭和12年移転
番号 寺院名 移転元
24 妙祐寺 渋谷宮益坂

■昭和14年
番号 寺院名 移転元
25 西蓮寺 三田北寺町

■昭和24年移転
番号 寺院名 移転元
26 多聞院 淀橋角筈


★ 見 所

8 光源寺:
境内に池(湧水)がある。ここに毎年シベリアから鴨が渡ってくる。また、蓮が多くあり、季節には見事。
9 妙寿寺:
寺町界隈では大きな部類に属す。本堂(左奥に屋根が見える)はとても大きいがコンクリートになってしまって残念。でも庫裏はご覧のとおり木造のまま残っている。
大きな料亭か旅館といったつくりであるが、3階建てくらいの大きさがあり、全体としては大正ロマンを感じさせる。
また、梵鐘は豪徳寺の梵鐘と同じ匠・藤原正次の作で1679年の作。心学者:中沢道二(知らない)の墓がある。
10 專光寺:
大きな本堂と浮世絵師「喜多川歌麿」の墓がある。
12 幸龍寺:
徳川家康の祖母、正心院殿日幸の求めにより城外に建立された寺。山門をくぐってすぐ右に小さな御堂がある。この御堂の欄間や扉の彫刻は見事。
江戸名所図会の挿絵画家:長谷川雪旦やその子の雪堤の墓がある。
14 存明寺:
桜とイチョウ・もみじなどが ちょうど紅葉しきれいだった。境内の隅に「トイレ」と「ベンチ(灰皿あり)」があり、助かった。
採れたぎんなんなども箱に入れておいてあり、住職の人柄を偲ばせる。
15 称往院:
「不許蕎麦」の石碑がある。
庵主の作るそばが評判になり「蕎麦切り寺」と呼ばれたが、修行の妨げになると、天明6年に、この石碑が建てられた。
赤穂浪士にも登場する俳人:宝井其角の墓がある。
17 永隆寺
境内に大きな百日紅あり、晩夏はきれい。

身体が冷えて熱いコーヒーでも飲みたかったが、付近は静か過ぎてコンビニさえ無い。
久我山までいって駅前のバーガーキングでコーヒーとアップルパイを食べた。
岩通も電話機の自由化で昔ほどの隆盛はないが、久我山はいまでも岩通の城下町だった。