中年夫婦のぶらぶらある記

横浜 根岸−本牧    2000年2月12日-18,000歩

私の生まれ故郷・・・と言っても、3ヶ月くらいで今住む武蔵野に移ったので、住んでいたわけではない。 しかし、小学生の頃は、夏休みになるとおばあちゃんの家に遊びに行ったので気分は故郷。

竹之丸の家から山や谷を越えて間門(まかど)まで歩いて海水浴に良く行ったもんだ。 途中に外人の家が沢山あった。
当時はピストルのおもちゃと言えばブリキを曲げたものばかりだったのに、アメリカ人の子供の持つダイキャスト製の2丁拳銃にカルチャーショックを受けた。 子供心にアメリカへのあこがれみたいなものを感じた。

negisi1.jpg (7999 バイト)森林公園・馬の博物館
昔の根岸の競馬場の跡。子供の頃は米軍が接収していてゴルフ場だった。
今でも一部に軍人の家がある。
白いペンキで塗った平屋の家、芝生にロープを張り白い洗濯物が干してある・・・
と言った元風景が今でもある。
さて、感傷にふけるのはこの位にして、
馬の博物館と隣に馬場がある。馬場には数頭の馬が放されているので子供づれには良い。
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ここから坂を下って行くと森林公園になり、緩やかな起伏のある広大な土地に芝生が張られ、
年代ものの木も沢山。
一角に梅園があり、折から梅が満開。桜の頃も良さそうだ。
それなりに家族連れが多かったが、東京の公園から比べるとまだ空いていてのんびり。
お弁当を広げたいところだが、付近は住宅地でコンビニすら無い。
公園の一部に競馬場のメインスタンドの残骸がまだ残っている。
子供の頃、海から帰ってくる途中、夕やけの中にシルエットでそびえるスタンドに鳥肌が立つような威圧感を感じたものだ。今日も昼間にかかわらず鳥肌がたった。

オッといけない、またノスタルジーにひたってしまった。

豆口台・本牧
森林公園から本牧方面へは昔ほどの良さはないが、閑静な住宅地だ。ここから三の谷方面に下りると広い道にぶつかるので左へ曲がる。途中「アメリカ通り」「馬の道」など変わった名前の道が山側へ
上って行く。三渓園が海側にある。

ここいらは、戦後 米軍が接収し米軍相手の横文字の店が沢山あり、外国のようだった。
その昔、ミュージッシャン(当時はジャズマンと言った-小島正雄や笈田敏夫など)がアメリカ文化を慕って夜な夜な東京から足を運んだと言う。
いまでも田舎のくせに垢抜けた店が所々にある。

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マイカル本牧
20年前くらいだろうか、すごいショッピングセンターができたと聞いたが行ったことは無かった。何か日本には無い輸入雑貨などがあるのかと思っていたが、普通のショッピングモールだった。
一角にフードセンターがあるので、お約束の惣菜とビールを買いこみ裏の「本牧山頂公園」でひなたぼっこをしながら食べた。
ここからは金沢八景方面が見え絶景だが、間の海が埋め立てられ石油コンビナートが出来てしまい艶消し。

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中華街:やはり横浜へ行ったら中華街。
マイカル本牧から横浜駅行きのバスにのり中華街へ・・・途中ビールのせいかぐっすり。
おばあちゃんは「支那町」、おふくろは「南京町」、今は「中華街」と呼ぶ。
中華街は相変わらずの人気で裏の路地まで人があふれている。
勿論昔から人が多かったが、最近特にひどいな〜。

こどものお土産に江戸清の「ぶたまん」-なぜ中華饅頭で無いのか?
翠香園で「月餅」と「ごま饅頭」を買う。

注意・・・月餅には100円のと大きい450円のとがある。1/4づつに分けたとしても絶対450円の方がお勧め
餡がねっとりとしていておいしい。小さいのは餡の水分が皮に吸われてしまうのか
パサパサとした感じがする。