中年夫婦のぶらぶらある記
東京の漁師町 羽田界隈 2002.09.21 15,000歩
噂の「羽田空港の鳥居」と、今でも漁師町の面影が残ると言われる、羽田界隈を散歩した。
期待ほどには、当時の面影は残っていなかったが、久しぶりのぶらぶら歩きに健康な一日を過ごした。
![]() 旧ターミナル跡地 ![]() 因縁の鳥居 |
京浜急行の天空橋で下車。 ビッグバードが出来るまでは、この付近に羽田のターミナルビルがあった。成田が出来るまでは国際線ターミナルもここにあり、数多くのスター達が華やかに出発し帰ってきた。 しかし、今はサラ地で猫じゃらしが風にそよいでいる・・・兵どもの夢のあと・・・ 南に少し行くと弁天橋。この橋のたもとに「あの話題の」鳥居がある。 話題: 戦争前、今の東急ホテルの正面付近、つまり旧ターミナルビルの大駐車場の辺りに穴守稲荷の鳥居があった。 終戦と同時に、進駐軍が軍用飛行場を建設するため鳥居を壊そうとしたら不思議な事故が起きて、米軍の工事の担当者が次々と変死したという噂が、地元に語り継がれている。その為か、つい最近まで駐車場内にポツンと取り残されていた。しかし新B滑走路建設のため、撤去せざるを得ないという決断が下った。 かくして1999年2月全国民が「何か起きるのでは」と半ば恐れ、半ば期待する中、今の位置に移動させたが、幸い事故などは起きずに引越が完了した(この時の模様はTVでも報道された)。 |
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弁天橋を渡って、多摩川の土手方向に行くと、「羽田六丁目
→ 三町目」。 この辺は、昔は漁師町で、今でもなまこ板の家々、曲がりくねった狭い路地が入り組む。魚屋の店先には、メゴチやアナゴなど江戸前の魚が並ぶ。 ほっかほっか亭で弁当を買い、先のセブンイレブンでビールとおでんを買い、小春日和の中、川原の藤棚の下で食べる。川原は土が栄養分を含み、上流から植物の種が流れ着くせいか、結構色々な花が咲き乱れている。
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![]() ![]() 穴守稲荷とJALのビル |
穴守稲荷: 文化元年創設。この辺りは大昔から多摩川の土手が決壊しては洪水に泣かされてきた。土手に神社を奉って安全を祈ったのが起源。 神楽殿の寄進者名には、板東三津五郎、八十助、清川虹子などの役者や円生、小さんなどの落語家の名前がズラリ。また、例大祭のポスターに、協賛としてJAL、ANA、JASなどがこれもズラリ。 小さい割にはビッグなお稲荷さん。 ここから先には見所はないが、健康の為に蒲田まで歩く。
この所、ぶらぶら歩きをサボっていたせいか、非常に疲れた。 |
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吉祥寺に帰って来てふと空を見上げると久しぶりの夕焼け・・・・ 夕焼けなんて何年ぶりだろう(いつも日暮れ時は仕事をしている)。 |