【上級運航I】 |
間51 次のような航海計画を立案した。全航程を12ノットで航行し、D点に12時30分に到着するには、A点を何時何分頃に出航すればよいか。下のうちから選ベ。ただし、風や海潮流の影響はないものとする。(試験用海図W200使用)
「出航点A:冬島南方海域冬島灯台(0c
6s)を磁針方位022°、山野港南東方の角埼灯台を磁針方位265°に見る地点から磁針路040°で航行
第一変針点B:冬島灯台(0C 6S)を左舷正横に見る地点で磁針路014°に変針
第二変針点C:秋島北東端灯台(Fl(3)12s)を左舷正横に見る地点で変針
到着点D:秋島北方海域40°−25.6’N、140°−07.4’E」
(1)9時30分頃 (2)9時50分頃 (3)10時10分頃 (4)10時30分頃 |
間52 春島の南西方海域を一定針路で航行中のG船は、北町東方の中埼灯台をコンパス方位185°、西浜町東方の梅岬灯台をコンパス方位285°に測定した。G船の船位(緯度、経度)は、次のうちどれか。
ただし、このときの船首方向に対する自差は5°Wであった。(試験用海図W200使用)
(1)40°−06.1’N、139°−45.6’E
(2)40°−06.2’N、139°−44.8’E
(3)40°−07.4’N、139°−44.6’E
(4)40°−07.8’N、139°−45.2’E |
間53 弁天島の北西方海域を速カ14ノットで航行中のG丸は、午前10時30分に30°−00.0’N、134°−50’Eの位置に達した。この地点から長浜港南方海域30°−20.0’N、135°−10.0’Eの地点を航過するように同一針路、速カで航行した場合、同日正午の船位(緯度、経度)はどこになるか。次のうちから選ベ。ただし、この海域には流向260°(真方位)、流速3.6ノットの海流があるものとする。(試験用海図W150使用)
(1)30°−09.0’N、134°−59.1’E
(2)30°−10.51N、135°−00.5’E
(3)30°−11.3’N、135°−01.3’E
(4)30°−12.4’N、135°−02.4’E |
間54 ロングクルージングにおける出航前の心構えについて述べた次の(A)と(B)について、それぞれの正誤を判断し、下のうちから当てはまるものを選べ。
(A)出航当日だけでなく、出航の数日前から気象、海象情報を収集し、以降の傾向を把握しておく必要がある。
(B)レーダーを装備している船舶であれば、出航時に濃霧であっても出航を中止する必要はない。
(1)(A)は正しく、(B)は誤っている。
(2)(A)は誤っていて、(B)は正しい。
(3)(A)も(B)も正しい。
(4)(A)も(B)も誤っている。 |
問55 右図は、2月下旬のある日の日本付近の地上天気図(概略)を示したものである。この後、朝鮮半島の南西にある低気圧が発達しながら日本海を東北東に進むと予想される場合に注意すべき事項として、適当でないものは、次のうちどれか。
(1)山陰から北陸にかけては、乾燥した状態になるおそれがある。
(2)東海地方から関東地方にかけては、大雪になるおそれがある。
(3)本州南岸では南寄りの強風が吹くおそれがある。
(4)低気圧が本州の東方沖に抜けると冬型の気圧配置が強まるおそれがある。 |
間56 12月4日の来島海峡(中水道)の潮流について述べた次の文のうち、誤っているものはどれか。
ただし、潮汐表によると当日の来島海峡(中水道)の潮流は、右表のとおりである。
(1)南流が最強になる時刻は、10時05分である。
(2)午後の北流の時間帯は、16時31分〜22時19分である。
(3)北流が最強になる時刻は、03時35分である。
(4)南流から北流に変わるのは、00時15分と13時30分である。 |
問57 避難港での係留中における荒天準備について述べた次の文のうち、適当でないものはどれか。
(1)係留口一プは増し掛けし、摩擦しやすいところには擦れ当てをする。
(2)風波はもちろん、潮汐にも気を配り、係留ロープの長さを調節する。
(3)岸壁、桟橋や他船との間に十分な数のフエンダーを配置する。
(4)船内に雨水等がたまらないように、通風口や排水口等の開口部を開放する。 |
間58 A丸は、総トン数27トン、長さ17メートル弱のクルーザー型モーターボートで、船長ほか1人が乗り組み、関係者4人を乗せ、回航の目的でBマリーナを発し、隣県のCマリーナに向がった。
船長は、当日の発航前にテレビと電話で航行予定水域の気象情報を入手し、強風波浪注意報が発表されて北東の風が強く、波浪が2メートルのち3メートルになる情報を得ていたものの、Bマリーナではそれ以上の気象情報を入手しなかった。従って、3日前から航行予定水域に強風波浪注意報が発表され、予想以上に時化模様であることを知らないまま、途中まで航行して波浪が3メートルを超えるような状況であれば引き返して最寄りのC港で時化が収まるのを待つつもりで発航した。
A丸が進路上にある北東に口を開けた瀬戸に差し掛かったところ、瀬戸の北口からの波浪の影響を受けて船休の動揺が激しくなった。船長は、波浪が2ないし3メートルとなったことを認め、前方の見通しが悪くなってきたことから手動で操舵に当たった。同北口に接近するに伴って波浪も更に高まることが予想される状況ではあったが、もう少し航行を続けて無理なら引き返せばよいだろうと思い、速やかに航行を中断することなく続航した。
瀬戸の半ばまで来ると、波浪が更に高まり、動揺が激しくなったので、ようや〈航行することを断念し、避難するため針路を反転することとした。波高を見ながらそのタイミングを計っているとき、突然4ないし5メートルに高起した波浪を右舷船首に受け、船首が高く持ち上げられたのち、波の谷に向けて急速に下降し、船首船底が海面に叩きつけられた。その結果、操舵室のフロントガラスなど船休各部が損壊し、乗員のほとんどが骨折などの重軽傷を負った。
上記の海難事故について、その発生に至る事由とは考えられないものは、次のうちどれか。
(1)気象情報や海象情報の収集が不十分であった。
(2)3日前から強風波浪注意報が発表されて時化模様であった。
(3)20トンを超える小型船舶にもかかわらず手動で操舵に当たった。
(4)波浪の高まりを予想したにもかかわらず引き返さずに続航した。 |